公益財団法人 向日市埋蔵文化財センター

長岡京に関する遺跡

桓武天皇は784年(延暦3)11月、奈良の都の平城京を廃し、「長岡村」の地へ都を移しました。それが長岡京です。794年(延暦13)10月までのおよそ10年間、平安京に都が移されるまで日本の首都として政治や経済、文化の中心地となりました。

広大な長岡京の政治を行う中心部を「長岡宮」と呼びます。向日市は、その「長岡宮」の大部分を含み、数々の重要な史跡を見学できます。

長岡京跡の発掘調査略史

1960年代以前
年代 長岡京関連の主な成果 関連事項
1954年 12月~翌3月、朝堂院南門(平安宮会昌門相当)を確認。
1959年 朝堂院東第一堂を確認。
1961年 大極殿・後殿を確認。
1962年 3月、京都府遺跡目録1961刊行・長岡宮跡を周知
1963年 大極殿北面回廊を確認。
1964年 朝堂院西第二・三堂を確認。 大極殿・後殿史跡指定
1965年 朝堂院東第三堂を確認。
1966年 朝堂院東第一堂を追加調査。 4月、乙訓寺調査(長岡第3小学校)
乙訓の文化遺産を守る会結成
1967年 内裏内郭築地回廊北西部を確認。
1968年 内裏内郭築地回廊南西隅を確認。
1969年 内裏正殿を確認。
1970年代
年代 長岡京関連の主な成果 関連事項
1970年 北辺官衙(南部:第3向陽小学校)で第1号木簡出土(八條四甕納米・・・)。 文化財保護法改定遺跡の周知通知
1971年 向日町中央公民館の発掘
1972年 内裏北外郭で凝灰岩抜き取り跡を確認。 京都府遺跡地図(第1版)刊行(長岡宮跡のみ)
1973年 内裏南方で石敷きを伴う邸宅を確認。 内裏内郭築地回廊北西部史跡指定
1974年 左京第1次調査(第5向陽小学校)・左京第2次調査(府立向陽高校)。
1975年 大極殿西方で礎石建物を確認。
1976年 左京五条三坊で邸宅跡を確認。 9月、京域を遺跡として周知
(財)京都市埋蔵文化財研究所設立
1977年 左京三条二坊八町を発掘(のちに太政官厨家跡とわかる)。
左京二条二坊八町(左京第14次)で金属工房関連官衙を確認。
長岡京跡発掘調査団設立
1978年 朝堂院北西官衙で礎石建物を確認省クラスの政庁 長岡京跡発掘調査団を長岡京跡発掘調査研究所と改称
1979年 内裏南方で築地を確認。
右京六条三坊七町(長岡第10小学校)で大形掘立柱建物を確認。
左京四条二坊六町で軍団兵士の駐屯地を確認。
1980年代
年代 長岡京関連の主な成果 関連事項
1981年 朝堂院西第一・二堂を確認。
北京極(現北一条大路)以北で長岡京期の掘立柱建物を確認し、北辺を二町拡大する契機となる。
内裏南方築地史跡指定
(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター設立
1982年 左京二条三坊三町を調査し、車持氏の邸宅とわかる。
朝堂院西第四堂・西面築地、南面回廊を確認。長岡宮の朝堂院は八堂と確定。
右京西京極付近で大規模な祭場跡を確認(西山田遺跡と命名される)。
向日市遺跡地図・長岡京市遺跡地図(第1版)刊行
1983年 倉庫と石組溝を確認し、大蔵跡と推定される(現西山高校)。
1984年 右京四条二坊十町で流路から墨書土器「衛門」ほか(衛門府か)出土。 長岡京遷都1200年記念シンポジウム(条坊遺構の集大成)
向日市文化資料館開館
1985年 北京極大路を調査。9mの小路幅とわかる。川原寺大衆院関連の施設確認。
1986年 右京八条二坊七町で甕据付穴を伴う大形建物を確認。
第二次内裏内郭北東部で後宮関連建物を確認。
旧二条条間大路を調査。二条大路の可能性が高まる。
二条大路の確定・条坊の見直し契機となる。
(財)長岡京市埋蔵文化財センター設立
向日市遺跡地図(第2版)刊行
1987年 左京五条二坊八町を調査し金銅製錠が出土。付近に貴族邸宅を推定。
旧二条条間大路を調査。道路幅40m以上と確定。
左京五条一坊十二町で東一坊坊間東小路を確認。
長岡京跡発掘調査研究所解散
長岡京市遺跡地図(第2版)刊行
1988年 左京一条三坊八町で流路を確認。大量の木簡出土。造営物資の陸揚げ場と推定。
右京三条二坊六町で1/2町占地の宅地を確認。
左京七条一坊九・十町で東一坊坊間東小路、1/4・1/8町占地の宅地を確認。
(財)向日市埋蔵文化財センター設立
1989年 北辺官衙(北部)で礎石建物を確認(省クラスの政庁)。 京都府遺跡地図(第2版)刊行
大山崎町遺跡地図(第1版)刊行
1990年代以降
年代 長岡京関連の主な成果 関連事項
1990年 第二次内裏後宮(登華殿・弘徽殿)を確認。内裏の伝統わかる。
左京七条一坊六町で七条条間小路から迷子の「告知札」木簡出土。
長岡京南東部で大規模な祭場(水垂遺跡)を確認。
1991年 左京二条二坊十町で大規模な離宮跡を確認。
西一坊大路と五条大路の交差点を確認。
1992年 左京七条二坊八町で建物、土壙を確認(長岡京の実質的南東隅か)。
二条大路を調査。幅43.75mと確定
長岡京市遺跡地図(第3版)刊行
長岡京型条坊制復原の導入
朝堂院西第四堂史跡指定
1993年 右京六条三坊二町で官営工房関連建物を確認。
1994年 朝堂院南方で礎石建物を確認(推定兵部省か)。
1995年 長岡京型条坊制の北京極以北で長岡京期の建物、道路を確認(北苑と仮称)。 向日市遺跡地図(第3版)刊行
1996年 後期春宮坊関連の資料を確認。
1997年 大極殿前庭で宝幢遺構を確認。
1998年 北辺官衙南部で東一坊大路西側溝・宮内一条条間大路を確認。一条条間路は幅9mと判明。 長岡京市遺跡地図(第4版)刊行
1999年 左京北一条二坊二・三町で離宮跡を確認。木簡・墨書土器から東院跡と判明。
2000年 大極殿院閤門を確認。
右京六条二坊五・六町で西市関連資料出土。
大極殿院閤門史跡指定
2002年 右京一条四坊四・五・十二~十四町を調査。一条大路、建物等を確認。
朝堂院西第四堂・南門(会昌門)の規模を確認。
朝堂院西第四堂・南門(会昌門)史跡指定
2003年 右京一条四坊四町で西三坊大路、棟門を確認。